聴講:変わりつつあるインドと日本

自分のための記録です。

表記講演会が、教育学部の北桐ホールで行われたので、涼みに行った。
(研究室は32−3℃。ホールは冷房28℃)

演者は、デリー大学教授のBrij Tankha氏。
一橋大学客員教授の身分で来日しているらしい。

インドは6つの宗教を持つが、イスラム教の人数が世界第2位。
インドから独立したパキスタンは、イスラムが多く、中央インドからパキスタンに移動した人もいるが、多くは言語が異なるため、インド内にとどまった。

人口は11億人。平均年齢25歳。
28の州からなる共和国連合(連邦国家)であり、それは、言葉の違いによって、1947年に独立したときに分けた。
その中に、7つの中央地域と呼ばれる地域がある。
100万人以上の人が話している言語が29あり、中央ではヒンディと英語を使う。

大学では、インド工科大学が、14言語で入試を行っている。
デリー大学(1922〜)は、ヒンディと英語で授業を行っているが、20万人いる学生も先生もいろんなところから集まってくるので、だいたい英語が共通語にならざるを得ないようだ。

憲法カースト制度が明記されている。
バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、バイシャ(町民)、シュードラ部落民)は、高校で習ったかな。
が、カースト制があっても、差別は禁じられており、公的には、たとえば大学に入るときにも、最下層民を20%入学させること、という決まりがあるらしい。

戦後、カーストによる違いは、宗教的というより政治的になった。
貧困層は45%。識字率は63.6%(2005)。

市民活動が盛んである。
市民組織を作るためには、5人の連名と組織名があれば、1ヶ月で認められる。
そういう組織がたくさんあるのだそうだ。

で、僕のぼんやりした疑問だが、人々はどういうものを根拠に集まるのか、ということを考えながら、質疑応答を聞いていたら、やはりそっちの方向に話が傾いてきた。

カーストを中心に人はまとまっている。
宗教を中心に人はまとまっている。が、それぞれの宗教の中にも、カースト優遇制度を求めて、カーストに縛られたい人が国に要求を出している。(けっこうおもしろい問題だ)
言語で州(住むところ)が決まっている。
カーストは政党とも深い関係がある。

なのに、5人で作れる市民組織の活動が盛んだ、ということだ。
おそらく市民が複数の組織に入っていると思うのだが、その構成員は、複数のカーストにまたがっているのか?それともやはりカーストで集まっているのか?という質問をしてみた。

すると、カーストには縛られていない、とのお答えだった。
なんとなく、インドのことより日本のことに詳しそうな教授だったが、まあ、そういうからには仕方ない。
が、今後、インドはどういう形(政治や社会制度)になっていくのだろう。

今の「人と集まりを作らない」日本と、どういう関係があるだろう。

ちょっと今の僕の興味の一部である。

つまり、人はなにを根拠に集まるのか。

市民活動については、独立戦争をしたかしないかの差だ、という人がいた。
まあ、そうかもしれない。