また七戸に行ってきました(長文)

一昨日に続き、今日も七戸に行ってきました。ついでに、天間林や上北に行ってきました。 9時に出ると言っていたのに、またまた出発は9時40分。 自分のことしかしていないのに、時間通りに動けない妻を連れて出発。 今日は高速道路を使わないで行きました。 四十四田ダムの脇を通って巣子から4号線に乗り、そのまま道なりに。 4号線を北上するのは何年振りでしょう。 下手をすると、僕は5年以上になるでしょう。 それくらい妻の実家に行っていない。 二人で、「この店に入ったことがあるよねえ」「あれはいつだったかなあ」「緑風荘は火事のあと、どうするんだろうねえ」「相変わらずここの景色はいいねえ」などと、話題は途切れず、ずっと話をしながら七戸に着きました。 到着は12時半。 ノンストップで2時間50分かかりました。(1日で332km) 一戸までが1時間20分。 一戸からが1時間30分。 高速だと、盛岡から滝沢IC経由で一戸までは1時間弱です。 ここで30分違います。 八戸道と第二みちのく道を通っても、同じくらいの時間がかかります。(一日で383km走りました)   さて、昼食にしようと思っていた店には、いつの間にか入ってしまったバイパスを通ったために行くことができず、七戸のお気に入りのお店も今日は休日でした。仕方がないので、やまさんストアという地元のスーパーで買物をしたあと、イオンに行って、いかにもこれはひどいなあ、という塩野菜ラーメンを食べ、そのまま義父のケアマネさんと話をするために某施設に行きました。 30分ほど話をしたあとは、義父が入るという別の施設の場所を確かめるために天間林へ。 一応入って部屋を見せてもらおう、という僕に、いや、いらない、という妻。 ものごとをスムーズに進めるよりも、いろんなことが先立ってしまうようです。 その後は七戸の役場を確かめたいという妻の要望に応えて、合併のために旧天間林村役場に移った七戸町役場の場所を確かめ(旧七戸町役場は支所になるので、確かめても意味はありません)、その足で義父を訪ねようとしたら、今日は行かない、と。 今日は、わざわざ七戸まで買物に来たのか・・・。  一昨日もそうだったけど、まあ、それはそれでよいと思っています。妻の複雑な気持ちもわからないではありませんから。 でも、来る途中には、墓を建てたいから墓石を見たいとまで言って、僕に「それは今やることではない」と言われて喧嘩までしたのに、何もしないで帰るとは。    ということで、また上北町駅前の玉勝温泉に。 妻は、ここが目的だったのかもしれません。(爆) 3時頃から温泉に入り、4時前に温泉を出るとき、妻は十和田のホテルが見たいと言いはじめました。そして三沢から高速に乗ればいい、と。 さすがにこれは断りました。 だって、上北から十和田まで行き、また三沢まで戻るとものすごいロスですから。(あとで聞いたら、やっぱり位置関係がわかっていなかったようです) で、そのまま下田百石ICを目指して車を走らせました。 と、途中まで順調に行ったのですが、ここでミス。 なんと、またまた第二みちのく道路に入ってしまったのです。 つまり、また200円払ってしまった。 しかももう一つのミスは、チケットをもらってしまったこと。  ここはETCが使えないのですが、百石道路や八戸高速道に接続しているために、チケットをもらうか、(たぶん)ETCカードを出して、チェックしてもらわないといけないのです。 チケットをもらってしまうと、まさかお金を払うことになるわけはないのでしょうが、めんどくさそうです。 で、走っていて次に気づいたのが、このまま東北道に入ると、ETCで入っていないから、休日の半額割引が効かないだろう、ということ。 無料化実験の八戸道にある一戸ICで降りるという手もあったのですが、妻が「お金を払うから高速で帰ってくれ」という。 そこで、手前の南郷ICで一回降り、すぐにETCで乗りなおすことにしました。 はたして南郷ICでは、チケットを渡すだけで、お金は必要ありませんでした。 そして、すぐにUターンしてETCで八戸道に。 結果はOK。 滝沢ICでは、600円の表示が出て、無事に半額になったことがわかりました。 久慈に行かれる方々にアドバイスです。 滝沢から乗って軽米・久慈IC、あるいは九戸・久慈ICで降りると、休日はETCカードだと600円。そうでなければ1200円です。 また、4号線を北上し、一戸で乗れば、上記ICで降りれば、誰でも無料で高速が使えます。 27日はお気をつけて。 ということで、バイトの娘のアッシー君をしたあと、お酒を飲んでいます。 首がガチガチです。 で、次は27日(土)ですが、妻は僕には来なくて良い、と言いました。 自分で行って、実家に泊まると、とても汚いトイレに入れないから泊まれないので十和田にホテルを取る、と言っていたのですが、今日帰ってからダンベル体操をしながら考えたらしく、やっぱりあの狭く汚い町営住宅で家族で過ごすのは最後になるから、泊まることにした、と。 まあ、親孝行だ、と言っていましたが、あの家(本当はこの夏、隣に引っ越したのですが)は、僕と結婚する前に、弟も母親も生きていたとき、つまり30数年前の中学生までは家族で一緒に過ごしたところです。そのことを考えて、崩壊家庭に育った彼女が、少しでも家族らしいことを選択した、というのは僕にとっても嬉しいことです。 ただ、顧みれば、僕は母と実家で過ごせるか。 無理かもしれません。 今年の正月も、結局また僕は母と喧嘩をして、母を置いて実家を飛び出して盛岡に帰ってきましたから。もちろん、妹も無理でしょう。 でも僕もがんばらなくちゃね。