「岩手の市民活動についてのコラム」から

さらに画像検索で遊びました。 すると、NPO法人の副代表や某環境情報系研究会の会長などをして忙しくしていた頃に、個人として書いたものが出てきました。 掲載されたのは、PIN(ぱいん)という岩手県が出している情報紙で、依頼原稿でした。 ぱいんは、  いわてのNPO・ボランティア活動を笑顔でつなぐ情報紙【ぱいん】。  「PIN」は「Paper Iwate Npo」の頭文字から名付けた造語。  「岩手のNPOを情報紙でつなぐ」という思いをこめました。 とのことです。 この情報紙の平成17年12月号に載ったものです。 http://www.act.jpn.org/pin/back_10.html 岩手の市民活動についてのコラム 環境を考える「これからのカギを握るのは地域の連携」 岩手に来て、はや17年になりました。私は生まれも育ちも岡山ですが、岩手に骨を埋めるつもりでおりますので、まだ17年と言った方が良いのかもしれません。盛岡には、岩手大学教育学部の教員として就職のためにやってきたのですが、青森で一時期を共に過ごした年上の友人が一足先に盛岡で働いており、彼は私の赴任後最初の土曜日に、盛岡駅前の北上川沿いの喫茶店に誘ってくれました。それまで私は学会で一度だけ盛岡を訪れたことがあり、その折、今はなくなった開運橋たもとのぽぷら館に入ったことがありました。釧路を舞台として「挽歌」を書いた原田康子の小説に出て来る喫茶店のモデルと思われ、その時も、窓から見える北上川の流れと、優しくゆれる川辺の柳を見つめていました。盛岡に住み始めたその時も、この柳と北上川を眺めながら、人が住むには街の規模がちょうど良く、人々がとても優しいとの印象を、その友人に伝えた記憶があります。 岡山にいた10代の頃は、被差別部落の問題に関心を持ち、高校の生徒会では「橋のない川」の自主上映を行ったり、岡山県の高校生を集めた集会での部落問題分科会の主宰等、身近な社会問題に関わって来ました。20代後半の4年間を過ごした青森では、「つちの会」「くさりの会」という、在宅重度身体障害者とその活動を支援するグループにいつのまにか入り、よく一緒に遊びに行っていました。また、ハンセン氏病の療養所には毎週お邪魔して、夕食や時にはお酒を一緒にいただいたりしていました。さらに、アメリカの知的障害を持つ方々のコロニー「Rainbow Acres」のRalph Showers氏をお招きして講演会を行い、御一行をカナンの園にお連れしたこともあります。このように、自分の来し方を振り返ってみると、いつも本業の他にいろんな方々と行動を共にして来た自分を発見することができます。その延長線上に、今の活動もあるように思われるのです。 ■きっかけは様々な出会いから 岩手では、種市町のゴルフ場建設反対訴訟に加わったのが、環境問題と関わる最初のできごとであったと思います。海産生物に関する弁護士の先生方との勉強会、裁判への意見書の執筆、法廷での証言、記者会見での説明等が、生物学を専門とする私に与えられた仕事でした。これらは、小さな漁村の漁師さんたちの暮らしが守られるよう祈りながらの作業でした。この裁判は10年続いて結果としては負けましたが、良い判決であったと思っています。その後、今度は「岩手県子どもエコクラブサポーターズミーティング、いろり端エコクラブ」という環境に関係する催しがあると聞き、参加してみました。期待通り、朝までお酒を呑むことができましたが、そこで知り合った方々の魅力にひかれ、ふと誘われた「環境情報ネットワーク研究会」発足に関わるようになりました。ところがなんと驚いたことに、私を初代会長とする、というのです。もともと軽率な私は、会が何をしようとしているのかよくわからないまま、この務めを引き受けました。 始めてみてわかったことは、環境情報ネットワーク研究会は、平成10年から約3年間の期限付きで行った、「岩手県国連大学・NTT環境ネットワーク共同プロジェクト」が終わったのを受けて平成13年に発足した研究会です。ですから、会員には県庁職員、国連大学教職員、NTTの職員を含み、そこに私のような研究者や高校教員、地域で環境活動を行っている方々が加わり、協働を進めるうえでとてもバラエティに富んだ会員構成となっています。この会で最初に取り組んだのが、「ふるさと桜前線岩手県の学校や子どもエコクラブにお願いして、桜の開花状況を報告してもらい、それをインターネットの地図上で見られるようにする企画でした。これによって県内の子どもたちが、離れた土地の様子を知ることができます。このことから、他の地域に住む人の生活を想像する力が増し、やがては交流へとつながっていくことが期待できます。いっぽう、研究会は会費を徴収していませんので、なんらかの形で、チラシ作成費や郵送費、インターネットのサーバの維持管理費等を確保しなければいけません。そのため、いろいろな助成金、委託事業などを探し、応募していましたが、ことごとく落選していました。 ■より充実した活動展開へ そんなあるとき、そこに行政の方から「北東北広域連携活動促進助成事業」という企画があるから応募してみないか、との打診を受けました。大急ぎで話し合い、これまでのシステムを改変してできる「みんなでつくろう ふるさと季節前線」の企画書と応募申請書を作成してプレゼンテーション審査を受けたところ認められ、岩手県内だけの団体を対象にしていた研究会の活動が平成14 年から一気に北東北に広がりました。これにより、岩手県南部や沿岸地方から青森県津軽地方まで、ほんとにさまざまな子どもたちの声がインターネットで確かめられる体制が整いましたし、子どもエコクラブの「北東北こども環境サミット」への協力を通して、これまでインターネットでしか知り得なかった子どもたち同士のリアルな交流も行うことができました。ご利用いただいている小学校の先生からは、「情報教育だけでなく環境教育、さらには実際のつながりも持て、子どもたちが目標を持って自主的に活動できるようになった」との声をいただいています。平成16年からは、県が募集していたインターネット上で誰でも個人学習ができる環境学習館の委託事業に応募して認められ、その構築と充実にも力を注いでいます。また、今年からは、今まで構築してきたシステムと、のべ 700校(団体)とのつながりをもとに、「北東北広域連携活動促進助成事業」に応募して、「北東北めぐみの森を守ろう」の事業を始めました。 ■これからの連携のあり方 このような活動は、実はいろいろな方が属する組織の協力なしには成り立たないと考えています。NPOの活動というと地域住民が個人として集まったボランティアによる活動のイメージもありますが、実はその個人が属している組織の支援なしにはうまく進まないことがあります。私は、そこに企業がなんらかの形で参加して欲しいと考えています。また、事業が大きくなると会費だけでは事業が成り立ちません。必要経費が徴収できればそれに越したことはないのですが、その分事務作業量が増えてしまいます。こういうときに、各NPOが得意な分野を分担しながら、行政や企業による補助事業等をうまく利用して活動を行う道をもっと活発にしていくことで、それぞれのNPOが本来掲げている活動目的が達せられる事もあるのではないでしょうか。このような活動のうち、広域でかつ広い分野をカバーできる「NPO法人環境パートナーシップいわて」が発足しています。私はこの副代表理事もしていますので、何か活動するときには、ぜひご連絡をいただきたいと思います。「何かしたい」。そこからすべては始まっていくのです。