岩手宮城内陸地震の爪跡

この金土日は、東北環境教育ミーティングという集まりが、栗駒の荒砥沢ダム下の「さくらの湯」で開催されました。昨年6月14日の8時43分、大きな地震があり、栗駒の荒砥沢ダム上流の山々が1.2km×900mの広さで崩れ、最大300m移動して、高さ約150mの崖ができたのです。栗駒に続く一関(厳美、衣里、衣川)でも、山が動き、土砂崩れや土石流が発生し、橋が壊れたり川がせき止められたりしました。が、宮城側の崩落は、世界でもまれに見る大きな崩落となり、また、死者もたくさん出てしまいました。  この荒砥沢ダムのはるか上のほうの耕英地区にあった「くりこま高原自然学校」を会場にして今回の環境教育ミーティングを行うことを昨年9月に決めたのですが、とうとう住民票を持つ人以外は入れないという規制が解かれず、さくらの湯で開催されたのです。地震から1年以上経っても、住民以外は入れない状態にあるのです。 が、初日の夜、自然学校の校長である佐々木豊志さんが市役所に呼ばれ、耕英地区で営業するいくつかの業者(いわな養殖と食事、温泉など)に、営業の許可が降りたのです。つまり、くりこま高原自然学校は、参加者を連れて耕英地区に上がれる(山に上がれる)ということになったのです。早速2日目のスケジュールを変更して、午後から上りました。(10月11日に、市運営のバスで200人の一般人?が、駒の湯跡地の見学に行ったそうです)写真は、犠牲者を出した「駒の湯」跡地です。大きな土石流が温泉宿を埋めてしまいました。このミーティングの3日目は、くりこま田園鉄道の跡地を産業遺産として大切に保存しようというフォーラムが開かれましたが、市から委託された調査委員長も来ていました。なんと、地震の前日に委員会が開かれ、日帰りの予定を変えて一部の委員が駒の湯に宿泊し、震災に遭って亡くなっていたとのこと。鉄道研究者と観光研究者だったそうです。 ま、続きは岩手宮城内陸地震のコミュに書くとして、この大きな地形の変化は衝撃でした。同時に、人の生活は、いつどこでどのようにして一変するのか、ほんとにわからないものだと思いましたし、それに対してどのように行動していくのか、深く考えさせられました。 まだまとまらないので、このへんで。