僕のスキー歴(超長文)

いえ。期待しないでください。いかに僕がスキーができないか、ということの言い訳なのです。僕の生まれは岡山県。実は岡山県には、岩手県よりたくさんのスキー場があるんです。ちょいと北に入れば、鳥取県の大山(だいせん)では国際大会が開かれたほどの雪質が得られますから。って、地図がわかります?大阪より西は滝になって落ちてると思っちゃダメですよ。(笑)その岡山県の南のほうにある西大寺というところで生まれました。雪はすべて山陰地方と中国山地に降ってしまうので、このあたりの冬は乾燥しています。いわゆる地中海性気候と呼ばれる、常春の気候なのです。岡山は晴れの国、と自らを呼んでいます。快晴率40%。ほとんど晴れ。ついでに言うと、渇水も洪水もなし。地震もなければ台風も避けて通る、まさに自然災害のないところです。ところが、僕が小学校4年生(10歳)のとき、初めて雪が積もりました。昭和43年、1968年のことです。この日、4年生は全クラスが授業をやめ、雪合戦となりました。校庭では他の学年が雪合戦をやっているので、4年生は少し離れた造成地に行きました。のどかな時代です。でも、同級生が、200人いました。200人の雪合戦。しかも、造成地の茶色い泥まじり。すごいことになりました。でも、どこの親も怒りません。子どもは外で遊んで元気になることが仕事、という時代だったのかもしれません。(僕は未熟児だったので、とにかく外で遊べと言われていました)次に雪が積もったのが、23歳のとき。研究所にいた僕たちは、朝から大喜び。実験をやめて雪合戦を楽しみました。でも、街は大渋滞でした。誰もチェーンを持っていませんから、ガソリンスタンドには長蛇の列。ただ、ガソリンスタンドにも、チェーンなんて5組くらいしか置いていません。もちろん、冬タイヤなどの存在すら知りません。3センチ積もれば、仕事に行くのをあきらめなければなりません。さて、それが岡山で積雪を見た経験です。たった2回。ただ、そういう環境で育った僕でも、世の中に、スキーというものがあるのは知っていました。学校の先生をしている親を持つ同級生は、毎年スキーに行っていたのです。お金持ちの子どもです。が、僕は実物のスキー板を見たことがなかったのです。それを初めて見たのは20歳のときでした。片側三車線の道路を走る車の上に何か載っている。それが、スキー板だったのです。(爆)そういう僕も、大学4年生になる直前の冬、進むことが決まっていた研究室のレクリエーションで行くスキーに連れて行ってもらったのです。上から下まで全部借り物。場所は大山スキー場。到着してまずスキーのセットを借りました。先輩はもう自分のスキーを履いて待ってます。で、やっとスキー板を履いた僕に、近道をしよう、というのです。一番下の初心者用のゲレンデは、僕たちが泊まる国民宿舎より下にあるのです。ところがそこは林間コースでした。まっ平らなところでも動けない僕に、すり鉢状(じゃないな)になった狭い道を通っていけというのです。最初に教えてもらったのは、「ボーゲン」です。「スキー板をハの字にせよ」ということだけ。でも、すり鉢状の林間コースでは、「ハの字」にはできません。でも、スキー板をそろえると、すぐに転んでしまうのです。半ば滑り落ちながらやっと着いたら、そこに待っていたのはリフトです。一人乗りの。そう。ららさんが落ちたやつです。(笑)これに乗るのが一苦労。がに股で横に歩く方法を教えてもらいました。が、スキーは横滑りするだけで、全然リフト乗り場に行けません。先輩にスキー板を止めてもらってやっと上がる始末でした。で、リフトに乗ったはいいものの、今度はどうやって降りるのかわかりません。大声で後ろの先輩に尋ねながら、結局、お尻と体で滑り落ちて、迷惑をかけずに済みました。あとは、「ボーゲン」。レストハウスで、さわやかな顔でタバコを吸っている僕の写真が残っていますが、もう滑らないぞ、という決意をした、さわやかな気持ちでいたのです。が、スキー旅行の日程は2泊3日です。本番は夜です。もう夕食前から先生はお酒を飲んでいます。ええ。昼のレストハウスでも飲んでばかりでした。夕食後は宴会です。最後は、先生と囲碁や将棋。先生は、囲碁2人、将棋3人を一度に相手しています。残った僕らはほとんど居眠りしながら飲んでます。が、研究室と同じです。朝は早いのです。あんなに飲んでいた先生なのに、朝食前に滑ってきた、というのです。研究者は体力です。で、朝食後、またスキーが始まりますが、途中で吹雪になり、リフトが止まったので、当然、国民宿舎の中で宴会が始まります。ずっと飲んでばかりです。夜はまた、先生と囲碁に将棋。3日目の朝も早く始まりましたが、さすがにこの日はお酒はありません。3時間かけて車の運転をしなければならないからです。というスキー旅行が年に1回ずつ3回。これが僕の岡山でのスキー歴です。そういう僕が進学したのは青森です。ここで、僕のスキー歴は一気にレベルアップします。青森に来てほぼ1年が経とうとしている2月。その日は仙台で研究会がありました。で、仙台からの帰りにスキーをしよう、という先輩がいたのですが、まあ、僕以外の人たちはみんなキャンセル。僕だけが付き合うことになりました。が、スキーを持っていません。そのことを伝えると、先輩が学生に借りてきてくれました。それでどこに行くかというと、安比です。25年前の安比。泊まろうとして電話をかけたら、お一人様18000円。これは無理なので、昼から滑ったのですが、これがかなり悲惨でした。先輩の持ってきたスキーは、210cm。これでどこを滑るのだ、と思うくらい曲がれない。それでスキー歴3回の僕はついて行ったわけです。まず下のほう。Tバーリフト。ご存知ですか?リフトって、ロープウエイのロープのようなものから鉄の棒が下がって、その先に腰掛がついていると思うでしょう?これは違うのです。ロープウエイのロープから、一本のロープが垂れ下がっていて、その先に、T字型の鉄の金具が付いているのです。スキーヤーは、このTバーを両手で持って、自分のスキーで滑って斜面を上がるのです。あれ?Tバーにまたがって、Tの字の足の部分を両足の間に置き、残りを足の付け根に置く感じで引っ張られていくのだったかな?いずれにせよ、自分のスキーですべって行かなくてはなりません。ここで転んでしまうと、T字の金具に引っかかったまま、引きずられ、やがてそこから外れて、後ろの人のスキーに轢かれてしまうことになります。後ろの人も、そういう人をうまく避ける技術が必要になるのです。まあ、それはどうにかクリアしたスキー歴3回のカジパさん。次のリフトに乗るためには、少し降りなければならないという。やっとの思いで降りていくと、そこは普通のリフトでした。これは難なくクリア。が、次のリフトでやってしまったのです。次のリフトは、Tバーに似ているのですが、Tではなく、お尻を置く部分が丸くなっています。たとえれば、運動会で、旗を立てるために使う金具がありますよね。旗の棒を差し込むところのある、下の部分が丸い車のハンドルのような形をした金具が。あれがぶら下がっているのです。で、この上にまたがって、さきほどのTバーと同じように、自分のスキーで滑っていくのだとか。ということで、自分の番が来るのを待ち、うまい具合にまたがって、さあ、いくぞ、と思って腰掛けたら、これが大間違い。腰掛けた瞬間に尻餅をつき、金具は「びよ〜〜〜ん」とはるか先に行ってしまいました。で、後ろを見たら、次の人が慌てている。そうなのです。このリフトは、Tバーみたいに力をかけてはいけないのです。つまり、そっとお尻を置いて、ばねの力が最大になったところで引っ張ってもらう。そんなの聞いてません。結局、長いスキーをどうにか繰りながら、元に戻って上がりました。そうやって着いた先が、安比の一番上から2番目の場所でした。なんとかコースは凍結しているから、このまま降りよう。と先輩は言うのですが、斜面が急すぎます。結局、横滑りで3分の1まで降りてきて、あとはだらだらとした初心者用コースを、曲がらないスキー板でまっすぐに降りてきてその日はおしまい。青森まで帰ってきたら、大雪でした。でも疲れ果てていたので、そのまま宿舎に戻り、寝てしまいました。次の日は、夜越山スキー場で初のロープとう。次の週は八甲田で滑りました。疲れたので、まずはここで筆を置きます。八甲田では死ぬかと思いました。