3月29日の緑色蛍光たんぱく質GFPの講演

3月29日は、ザゼンソウの講演に続き、岩手県県民会館で、2008年ノーベル賞受賞者下村脩先生の講演があるということで、楽しみにしていた。 が、これが岩手大学など8箇所でインターネット同時配信されるというので、大学で講演を聞かせていただいた。 まず理化学研究所脳科学総合研究センター細胞機能探索技術開発チーム、科学技術振興機構ERATO生命時空間情報プロジェクトの宮脇敦史先生が 30分でしゃべりまくった。 彼は2008年ノーベル賞受賞者ロジャー・チェン・カリフォルニア大教授の弟子だということだった。 バイオイメージング技術(まあ、細胞内の特定のタンパク分子などを光るようにしてやったりして、印をつけ、それを追跡する技術のこと)の拡大発展 を研究テーマとしている。みたい。 GFP(Green Fluorescent Protein)は、1962年に下村が発見し報告した。 これは、自ら発色団を形成して蛍光活性を獲得するタンパク質。つまり、光るタンパク質である。 1992年にPrashenらが遺伝子クローニングに成功し、1994年、構造が決定された。(マーティン・チャルフィー・コロンビア大教授;同受賞) こういう研究から、生物体の中にある、βバレル構造を持った分子が、さまざまな光特性を持つことがわかってきた。 bioluminescence(生物発光)は、エクオリンとかルシフェリンとかいうタンパク質が、生物の体内で起こる化学変化によって光るが、 non-bioluminescence(非生物発光)では、他からの光エネルギーを変換して光るのである。たとえば、後者では、褐虫藻(渦鞭毛虫)がサ ンゴに寄生しているが、これが光らないと、サンゴは死に、白化現象が起こる。 こういう物質には、照射光の波長が変わる(紫色を当てる)と緑から赤に変わるKaedeという物質がある。まさに「かえで」と名づけられたこの物 質をネズミのリンパ節に入れてやり、あとで光を当てると、そのリンパ節につながるリンパ管がすべて可視化できるのである。(ちょっとわからんところあり)  東大の岡村さんがCiona(ユウレイボヤ)でやったVoltage-Sensor Proteinもその一種? また、DronPaという物質は、緑と黒に変わる。これは、βバレルの壁が薄いために、光エネルギーを熱に変えてしまうので黒になるのだそうだ。 超解像度顕微鏡というのがあり、これで見ると、発光部位が27nmの分解能で見えるのだそうだ。これはすごい機械だと思った。僕は発光ではなくて 発色で見ていますが。 さらに、細胞の分裂時に、DNA量の変化があるが、これを基にして、今、細胞がどの時期にあるのかもわかる。 たとえばG1期を赤に、S期を緑に染め分けることができるので、ガン細胞がどこにあるかもわかる。つまり、ヒーラ細胞細胞分裂が止まらないの で、これがある部分は緑と赤が混在する。大人の体細胞では分裂が止まっているので、ほとんど真っ赤になっているはず。 ただ、幹細胞は緑に見えるので、今後、この方面の研究も進むと思う。 その他、アポトーシスの可視化、酸化ストレスなども可視化できる。 ということで、宮脇先生、よくも30分でこれだけのことがしゃべれるものだと感心しました。 次に大御所下村先生。 まずはオワンクラゲのことから。 直径5cmくらいのクラゲです。 2種類のタンパク質で光ります。 1)発光タンパク質 イクオリン  カルシウムイオンの存在下で青色に光るので、カルシウムプローブとして使われる。 2)緑色蛍光タンパク質 GFP(微量副産物)  紫外線照射で緑に光る。  イクオリンの青色を緑色に変える。 ということで、こちらはのんびり。 まずご自分の生い立ちから。 1928年生まれ。 福知山、佐世保満州、大阪、長崎と転居する。 大阪の軍需工場で働いている間に卒業になったため、中学時代にほとんど勉強ができなかった。 長崎で原子爆弾が落とされるのを見た。このときも工場で働いていた。 最初のB29が、パラシュートで何か機材を落としていた。 それが去って空襲警報が止まってから次のB29が来て原子爆弾を落とした。 2年、何もしない時期があり、長崎医大附属薬学専門学校に入れてもらい、卒業後に長崎大学薬学部で助手を務めるが、内地留学で先生もよく知らない 名古屋大学の江上不二夫先生のところに挨拶に行ったら留守で、別の先生(平田義正先生)とお話をしているうちに、その研究室配属になり、研究を言い渡され た。 それはウミボタルのルシフェリンを精製して結晶化してくれ、ということ。構造を知るには結晶化しなければならないから。で、500gのウミボタル でやっと2mgのルシフェリンができる。が、なかなか結晶化しない。このため、1週間に500gのウミボタルを使い、10ヶ月かかった。しかもそれは 20%の塩酸の中での話。 だが、これが当時競争相手だったプリンストン大学のジョンソン教授の目に留まり、1960年、プリンストン大学へ行く。 やることは、オワンクラゲの光る物質についての研究。 これで、フライデーハーバーの臨海実験所に行った。当時ここは4つほどの小さな建物があっただけ。 オワンクラゲは、天然光では青色に光る。が、暗室中で刺激を加えると緑に光った。 この光る部分である傘の部分だけ切り取って集め、最初はルシフェリンとルシフェラーゼだと考えて仕事を始めたが、そうではないと思った。が、そう だというジョンソン教授と対立し、同じ実験机で別の仕事をすることになって気まずい思いをした。 なんとか物質を抽出し、実験が終わって流しに捨てたら、そこにあった海水と反応したのか、強い発光が見られた。これはほどなく、カルシウムイオン で光る物質であることをつきとめ、抽出法が改良された。 この物質を、イクオリンと名づけたが、副生成物としてGFPが微量に得られた。 1963年に名古屋大学に帰ったが、命じられた研究とイクオリンの研究の2つは同時にできないと思い、プリンストンに帰った。 1978年、イクオリンを注入したメダカの未受精卵が、精子が入ることによって光った。それは、受精波と呼ばれる現象を可視化したもので、精子が 入った場所から順に、細胞内にカルシウムイオンが流入して、これ以上精子が入らないようにする(多精防止)ための現象である。 イクオリンを精製する過程で、AF350という物質が取れる。このAF350を1mg抽出するためには150mgのイクオリンが必要。そのために は5万匹(2.5t)のオワンクラゲが必要になり、毎日50杯のバケツにオワンクラゲを取り、傘を切り取るクラゲ切り器も作った。これは1時間に1200 匹のオワンクラゲの傘が切れる。 1972年、AF350の中には、セレンテラジンという構造があり、それはルシフェリンにもあることがわかった。生物の発光に共通の構造がわかっ た、ということである。 1979年には、GFPを調べた。これは、100mg得るために20万匹のオワンクラゲが必要であった。ここから、発色団を含むペプチドが 0.1mg得られた。 今は、GFP系タンパク質という呼ばれ方をしている。 このようなことをやっていて、私は、基礎的研究は真理の探求であると思う。これに、応用的研究として、既知の知識の発展があるので、基礎的研究は 大切なものだと思う。 これに対して、岩手医大の遠山先生が質問してました。 「日本では、研究費を獲得しようとすれば、それが何の役に立つか?と記入する欄があるが、アメリカでもそうか?」と。 ところが、下村先生は、「アメリカには、そんなことを聞かない研究費もあり、私はそれを使ってこれまで研究してきた」と答えていらっしゃいまし た。 まあ、誘導尋問でしょうが、これは本当に大切なことであると思います。 まして日本は、人のふんどしで相撲をとるのがうまい、と言われてきた過去があるからです。 つまり、基礎研究にお金をかけないで、基礎研究の成果だけをもらって応用研究でぼろ儲けをしている、との批判です。 まあ、ホヤの目がどこにあっても人類には関係ないと思うのですが、そういう研究をやっている僕としては、同じようなことを思います。なお、ホヤの 産卵の光調節に関する研究の報告をすると言っていた岩手県水産技術センターは、何も言ってきませんなあ。。。できたのかな?